無名

 

沢木耕太郎の『無名』を読んだ。


老齢の父親が入院した際、沢木には焦る思いがあった。

一代で通信機器会社を築き上げた祖父のこと、その会社崩壊の原因の逓信省と役人との疑獄事件のこと、父とその兄である伯父が会社を再興できなかった理由について、じっくり聞いておく機会がもう無くなるかもしれないという思いだった。

またそれら以上に、学業を途中でやめ、北陸や関西を転々としたあと、東京に連れ戻されたという父の青春時代についても、知っておきたいという思いがあった。


しかし、死期が迫る父との限られた時間の中で、彼は結局それらについてのインタビューを行わない。代わりに行うのが、父親が作っていた俳句の季語や解釈についての質問だった。
 「曲水や宮女恋慕の詩百編」とある句の、その「曲水」がわからない。
「曲がった水、と書いて……」
「キョクスイ」
「どういう意味なんですか」
「それは、昔、中国で……」
 切れ切れの説明によって、それが宮廷における遊びのひとつだったことがわかる。水の流れに浮かんだ盃が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を作る。そして、作り終えるとおもむろに盃を取り上げて酒を呑む、という貴族の遊びだ。
そして、父親の死後、一冊の句集ができ上がる。


この本を読んでいるとき、ノンフィクションであるにもかかわらず、私小説を読んでいるような気になったのは、沢木が、残された時間を、当初考えていた父親に関わる昔の事実そのものを発掘することではなく、俳句の解釈を通して、子として父親の思いや考えに触れることに充てる方を選んだからなのだろう。

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