SNSに流れるものの下に眠る膨大な情報

ここ数カ月、DyDoの「聘珍茶寮 ジャスミン茶」を毎日のように飲んでいるのだが、Twitterでツイートしたり、Facebookにポストしたりしたことがない。一方、はじめて飲んだワインや美味しかった日本酒などは結構シェアしている。

また、吉野家の牛丼や、マクドナルドのハンバーガーや、コンビニのお弁当も食べるけれども、そういうものはあまり共有したりしていない。その一方で、いい感じのレストランで食べたものや、自分でまあまあちゃんと頑張って作った料理はシェアすることが多い。

会社でのミーティングのことや、クライアント企業への提案のことなんかは、そもそも共有すべきことではないけれども、実際には一日の仕事のほとんどがそれらで終わることもある。

また、人に会った場合も、たまに一緒にチェックインすることはあっても、たいていの場合は誰と会ってるかというのはシェアしない。

結果として、TwitterやFacebookで共有してることというのは、自分の生活のほんの一部だけで、どちらかというと「ハレ」のものが中心になっていて
、毎日繰り返していることや結構時間を使っていることは、意外とシェアしていないことが多いなあ、と思うわけです。

自分の人生のすべてをデータ化したいとは思わないが、TwitterやFacebookのタイムラインをあとで見ていると、人生のほんの一部分だけの
かなり偏ったものになっており、そういう氷山の一角ではなく、その下に眠っているシェアしなかった膨大な情報に注目してみるのも面白いんじゃないかな、と考えている。

※やっぱり、書き出しが食べ物飲み物になっちゃたよ。

人気の投稿