幸福論


寺山修司の『幸福論』。スラスラ読めるのに、ふと立ち止まるとポツンと取り残されている感覚に陥ってしまう。あまり丁寧ではない文章に急に突き放されるのだ。

たとえば、劇作家でもある寺山修司が演技や想像力について語っている部分。
演技の思想とは、いわば「自分が何者であるか」を知るために、存在を本質概念に優先させようとする企みである。しかし、この存在はつねに醒めた演技生理によって自律されている。
演技の問題は、同時に劇的想像力の問題でもある。それは、想像の世界と現実の世界とのシーソーゲームであり、日常生活の中で、両者を同時にとらえることによって、識別してゆく眼を持つことである。重要なことは、「演技」を生き方の方法にすることによって、想像と現実とのあいだの階級を取り除くということである。空想していたものが、いつのまにか現実になだれこむという無思想の戒めである。
寺山修司の言葉や文章や演劇に数多く触れてきた人は別として(ボクは『幸福論』以外は、大昔に『書を捨てよ、町へ出よう』を読んだくらいなので該当しない)、この文章だけ切り出して読むと相当難解で理解しにくいと思うのだが、本文中の流れで読むとなぜかわかった気になってしまうから不思議だ。

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ところで、エドワード・オルビーの"Zoo Story"がこの本に出てきたけど、山崎正和の『社交する人間』の冒頭でも取り上げられている。

山崎正和は1934年生まれ、寺山修司は1935年生まれで一歳差。そして二人とも劇作家という共通点を発見して嬉しかったのでここに書いておこう。

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