柔らかい個人主義の誕生


今回(1/30)の読書会テーマ本だったのは、1984年刊行の山崎正和著『柔らかい個人主義の誕生』

ちょっと前に読んだ内容を思い起こしながら参加したけど、やや不完全燃焼だったので、再読するつもり。まずは、第一章 おんりい・いえすたでい'70s を読み直しつつ、メモって感じだけど、まあここに残しておこう。

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1960年代は、東京オリンピック(1964)の準備とともに始まり、大阪万国博覧会(1970)の計画とともに終わった。経済的には、日本の国民総生産はアメリカに次いで自由世界第2位となり(1968)、明治以来の国家目的である近代化をほとんど完全に達成。まさに「黄金の60年代」であった。

それに比べ、時代を飾る華々しい標語もなく、ドル・ショック(1971)や石油危機(1973・79)という2つの事件に襲われた1970年代という時代は、何とも消極的なものだ。

だが、著者は、実はこの時代、見えにくいが大きな歴史的変化が生じたのだと指摘する。

60年代までに進んだ産業化の達成により、日本は豊かさという果実を得た一方で、国家イメージの縮小、労働時間の短縮、家庭余暇の増大、高齢化、流行病の征服などの現象が起こり、これらが個人をより個別化する方向に働いたという。

伝統的な個人主義は、産業化とともに生まれた倫理であり、産業化そのものを生み出し、それを推し進めた原理であったからこそ、産業化を進めた結果である「脱産業化社会」では、その原理のみによる運営が困難になり、新しい個人主義の可能性が芽生えたというわけだ。
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第二章 「顔の見える大衆社会」の予兆
第三章 消費社会の「自我」形成
と続くが、きょうは力尽きたので、またこんど。

あと、断片的だけど、印象的だったフレーズを2つ。
人間の若さは、一般に社会を等質化し集団化させる条件であるのにたいして、老いの経験はただそれだけで、すでに個人の運命を多様化し個別化する方向に働く。(p.36)
自殺者が増えるのは必ずしも経済的貧困の結果ではなく、一般に社会秩序の急変によって生じる現象であって、現実には逆に急激な繁栄もその原因になることが多い。(p.115 エミール・デュルケイム『自殺論』からの引用)
こういうことがあたかも「公式」のようにさらっと書かれているとドキッとするなあ。

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