自省録


マルクス・アウレーリウス著 神谷美恵子訳 『自省録』を読んだ。

マルクス・アウレーリウスは、第16代ローマ皇帝で五賢帝最後の1人。ストア派哲学に精通し、後世には「哲人皇帝」と言われた人である。「皇帝」でしかも「哲人」の本だから、難解すぎてチンプンカンプンなのではないかと思いつつ、読書会のテーマ本ということで読み始めたが、その言葉の中にはグッと惹きこまれるものが多々あった。

この本の魅力は、「皇帝」という生活を「哲人」という魂で生きた人が書いた、生きる糧としての哲学を感じられるところではないかと思う。訳者の神谷美恵子さんは解説でこう書いている。
彼が皇帝としてなまなましい現実との対決に火花を散らす身であったからこそその思想の力と躍動が生まれたのかもしれない。『自省録』は決してお上品な道徳訓で固められたものではなく、時には烈しい怒りや罵りの言葉も深い絶望や自己嫌悪の呻きもある。(p.317 訳者解説)
この本の中でマルクス・アウレーリウスは、
心を傾けるべきもっとも手近な座右の銘のうちに、つぎの二つのものを用意するがよい。
その一つは、事物は触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。 もう一つは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。(p.51)
 と語っている。この「宇宙即変化。人生即主観。」は、ボク自身の座右の銘にもさせてもらおう。

ちなみに、翻訳者の神谷美恵子さんは『自省録』を生涯の座右の書としたとされている。彼女がハンセン病療養所である長島愛生園での「なまなましい現実との対決」をしているときも、『自省録』は彼女の支えになったのだろう。神谷さんの『生きがいについて』も再読しようと思う。

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